なぜ英文契約書は難しいのか?和文契約書との3つの違い
まず、英文契約書がなぜ読みづらいと感じるのか、その原因を和文契約書との違いから解説します。
違い① 冒頭に契約の「宝の山」が隠されている
事業部から案件の背景説明が十分にないまま、大量の英文契約書が送られてきて途方に暮れた経験はありませんか。そんな時こそ、契約書の冒頭部分に注目してください。
英文契約書、特に米国の契約書をベースにしたものでは、第1条や第2条といった具体的な条項が始まる前に、「Whereas条項」と呼ばれる、契約の背景や全体像を説明するパートが置かれることが多くあります。これは和文契約書にはあまり見られない特徴です。
このWhereas条項は、まさに「宝の山」であり、重要な情報が凝縮されています。例えば、以下のような情報が含まれています。
- 当事者の情報: 「SellerはPCの主要な製造会社である」といった、当事者がどのような会社なのかが記載されています 。
- 取引の背景: 「買主は、2010年6月5日に締結した売買契約を修正することを希望している」など、過去の取引の経緯や今回の契約の目的がわかります 。
- 重要な定義語: 契約書全体でキーとなる用語が、この段階で定義されていることがあります。ここで定義される言葉は極めて重要な意味を持つことが多いため、特に注意が必要です。
契約書全体を読むのは大変ですが、冒頭の数行を読むだけで案件の概要を素早く掴むことができます。これにより、レビュー時間を短縮できるだけでなく、事業部へ基本的な事項を確認する手間も省けます。
違い② とにかく「長くて複雑」になる構造的背景
英文契約書のレビューで多く聞かれる悩みは、その「長さ」と「複雑さ」です。なぜ英文契約書はこれほど長くなるのでしょうか。背景には、英米法の考え方に基づいた3つの背景があります。
- 理論的背景:口頭証拠排除の原則(Parol Evidence Rule)
英米法では、「契約書に書かれていることが全てであり、それ以前の口頭での合意や交渉内容は、契約書に記載がない限り考慮されない」という「口頭証拠排除の原則」があります。日本の実務では、「(契約書には書かないけど、)こういう前提で進めましょう」といったやり取りが考慮されることもありますが、英米法の世界では通用しません。そのため、後で「言った、言わない」の争いを避けるために、合意した内容は些細なことでも全て契約書に書き込む必要があり、結果として契約書が長くなります。 - 歴史的背景:高額な紛争リスク
特に米国では、訴訟になった場合の損害賠償額が非常に高額になるリスクがあります。数億〜数千億円規模の賠償が命じられ、会社の経営を揺るがす事態に発展することも珍しくありません 。このような大きな紛争リスクを少しでも減らすため、「もしこうなったら、こう処理する」「この場合は、こうする」といったあらゆる事態を想定した細かな条件を規定していく結果、契約書はどんどん長くなっていきます。 - 取引的背景:文化や商習慣の違い
国際取引では、異なる国、異なる文化を持つ企業同士が契約を締結します。日本国内の取引のように「阿吽の呼吸」や「暗黙の了解」は期待できません。そのため、誤解や認識のズレが生じないよう、一つひとつの事柄を丁寧に、そして明確に書面で定義していく必要があります。
【読解テクニック】長い文章は「区切って読む」
長くて複雑な文章をどう読み解けばよいのでしょうか。ポイントは、文章を意味の塊で「区切って読む」ことです。特に以下の3点に注意してください 。
- カンマ(,)の位置
- and, or の位置
- 関係代名詞(which, thatなど)の位置
これらの接続詞や句読点が、文章の論理構造を分解するヒントになります 。
例えば、以下の文を見てみましょう。あなたは秘密情報の受領側で、社内ルールでは「『秘密』と明示されたもののみを秘密情報として扱う」と定められています。この場合、以下の定義を受け入れられるでしょうか。
Confidential Information means all technical data, know-how, designs, plans, software, and other information, which is designated in writing to be confidential, or which is disclosed orally and is confirmed in writing within a reasonable time (not to exceed thirty (30) days) after the oral disclosure, or which would under the circumstances appear to a reasonable person to be confidential or proprietary.
この文章は、3つの "which" と2つの "or" で構成されています。分解すると、秘密情報に該当するのは以下のいずれかの場合となります。
- 書面で「秘密」であると指定された情報
- 口頭で開示され、30日以内に書面で秘密であると確認された情報
- 状況からみて、合理的な人物であれば秘密情報または専有情報であるとみなすであろう情報
(1)と(2)は「秘密である旨の明示」を要求しており、社内ルールに合致します。しかし、(3)の存在により、「秘密」と明示されていなくても、状況的に秘密と判断されれば秘密情報として扱われてしまうことになります。したがって、この定義は社内ルールと相容れないため、「受け入れ不可能」が正解となります。
このように、接続詞や関係代名詞を手がかりに文章を分解することで、複雑な条文も正確に読み解くことが可能です。
違い③ 定義語は「定義語条項」にまとめられる
和文契約書では「本件商品」のように、本文中の随所で用語が定義されるのが一般的です。一方、英文契約書では、第1条などに「Definitions」という条項が設けられ、そこで契約書で使われる主要な用語が一括して定義されることが非常に多いという特徴があります。
ここで注意すべきなのは、「単純に単語から連想される意味とは異なる内容で定義されているリスク」です 。必ず定義語条項をチェックし、本文と照らし合わせて読む「クロスリファレンス」を徹底する必要があります 。
例えば、
to the knowledge of the Seller (売主の知る限り)という表現があったとします 。これだけ見ると「売主が実際に知っている範囲」と解釈しがちですが、定義語条項に以下のような記載があったらどうでしょうか。
Seller's Knowledge means the actual knowledge of the employees of the Seller, or anything of which the employees of the Seller should reasonably have knowledge based on their work for the Seller.
この定義によれば、「売主の知る限り」とは、従業員が「現に知っていること」だけでなく、「業務上、合理的に知っているべきだったこと」まで含まれることになります 。つまり、「知らなかった」では済まされず、「知っておくべきだったでしょう」と追及されるリスクを負うことになるのです。
このように、定義語条項の確認を怠ると、一見有利に見える条文が実は非常に重い義務を課すものだった、という事態に陥りかねません 。
これだけは覚えたい!英文契約特有の頻出表現
英文契約には、法律業界特有の言い回しが数多く登場します。これらは理屈で考えるよりも、意味を覚えてしまうのが読解スピードを上げる最大の近道です。以下に代表的なものを挙げます。
- provided, however, that: 但し
- for the avoidance of doubt: 疑義を避けるために付言すると(念押し)
- including, but not limited to: ~を含むが、これらに限られない
- cause someone to do: (人)に~させる(例:従業員に義務を遵守させる)
- notwithstanding: ~にもかかわらず
- unless otherwise agreed: 他に別段の定めがない限り
- to the extent: ~の範囲で
- subject to: ~を条件として
これらの表現は頻出するため、覚えておくだけでスムーズに読み進められるようになります。
必ず押さえるべき「一般条項(ボイラープレート)」
契約書の後半には、「一般条項」または「ボイラープレート」と呼ばれる、契約類型にかかわらず規定されることが多い一連の条項が登場します。秘密保持、有効期間、解除、不可抗力など様々ですが、特に英文契約に特有で重要な2つの条項を解説します。
① 完全合意条項(Entire Agreement)
先述の「口頭証拠排除の原則」を契約書上で明確にするための条項です。以下のような形で規定されます。
本契約は、本契約に記載される事項に関する両当事者間の完全な合意を構成し、書面又は口頭に関わらず、当該事項に関する両当事者間の全ての従前の理解及び合意に取って代わる。
この条項がある場合、契約書に書かれていない事柄は、たとえ事前に合意していたとしても法的に主張できなくなります。したがって、この条項を見つけたら、「契約に必要な重要事項に抜け漏れはないか」を改めて慎重に確認する必要があります。
② 管轄・仲裁条項(Jurisdiction / Arbitration)
契約に関して紛争が生じた場合に、どの国のどの手続き(裁判か仲裁か)で解決するかを定める非常に重要な条項です。
裁判と仲裁には、それぞれメリット・デメリットがあります 。
特に国際契約において最も重要なのが「判断の執行力」です 。例えば、日本の裁判所で勝訴判決を得ても、相手方の財産が米国にある場合、その判決を使って米国で強制執行できるとは限りません 。二国間で判決の承認に関する条約がなければ、せっかくの勝訴判決も「絵に描いた餅」になってしまう可能性があるのです 。
一方、仲裁の場合は、「ニューヨーク条約」という多数国間の条約があり、現在160カ国以上が加盟しています 。この条約の締結国同士であれば、一方の国で得た仲裁判断の執行力がもう一方の国でも担保されます 。例えば、日本で得た仲裁判断を、同じく条約に加盟している米国で執行することが可能です 。
紛争解決条項を検討する際は、言語や期間といった制度上の良し悪しだけでなく、「最終的に相手の財産を差し押さえることができるか」という執行の観点まで含めて検討することが不可欠です 。
基礎の理解が、苦手克服の第一歩
本記事では、英文契約書の苦手意識を克服するための第一歩として、その特徴や読解のコツ、重要な条項について解説しました。
- 英文契約は冒頭のWhereas条項に重要情報が満載
- 「長く複雑」な背景を理解し、カンマやand/orで区切って読む
- 定義語は必ず定義語条項で確認し、クロスリファレンスを徹底する
- 完全合意条項や管轄・仲裁条項など、重要な一般条項の意味を正確に理解する
これらの基礎を理解するだけでも、英文契約書への心理的なハードルは大きく下がるはずです。そして、こうした複雑で時間のかかるレビュー作業をさらに効率化し、リスクの見落としを防ぐための新たな戦略として、AI技術の活用も視野に入ってきます 。
日々の業務に、本記事で得た知識と新たなテクノロジーをぜひお役立てください。