ダイレクトリスティングとは
ダイレクトリスティングとは、企業が上場する際に新たな株式を発行せず、既存の株式のみを市場で取引できるようにする上場手法のことです。日本語では「直接上場」と呼ばれます。
通常のIPOやSPACとの違いについて詳しく見ていきましょう。
通常のIPOとの違い
通常のIPOでは、企業は新規株式を発行し、それを通じて資金調達を行います。証券会社が引受審査を行い、さらに上場適格性を確認するための推薦審査も実施されます。また、取引所による上場審査や「Iの部」の開示、有価証券届出書の提出も必要です。
一方、ダイレクトリスティングはプロセスが簡略化されており、証券会社による引受審査は不要です。既存の株式をそのまま市場で取引可能にすることで上場するため、新株発行による資金調達は行われません。
ただし証券会社の推薦審査や取引所による上場審査、ならびに「Iの部」の開示は通常のIPOと同様に必要です。しかし、有価証券届出書の提出義務はないため、結果として上場準備にかかる時間とコストを大幅に削減できます。
通常のIPOでは、上場までに2〜3年程度の準備期間と数千万円規模のコストがかかることが多いのに対して、ダイレクトリスティングではこれらが不要です。
SPACとの違い
SPACは、未公開企業を買収することを目的に設立された事業実体を持たない会社です。SPAC自体が証券取引所に上場し、一定期間内に未公開企業を買収・合併することで、買収先の企業が実質的に上場企業となる仕組みです。
買収対象となる企業が直接上場手続きを行う必要がないため、比較的スムーズに上場が実現できます。また上場時に投資家から資金を集めることも可能です。
一方ダイレクトリスティングは、企業が既存の株式をそのまま市場に上場する方法であり、新たな株式の発行を伴いません。このため、資金調達を目的とした上場には不向きですが、上場コストの削減や手続きの簡素化が可能で、迅速な上場を実現できます。
このように、SPACは新たな資金調達が必要な企業や迅速な上場を希望する企業に適しており、ダイレクトリスティングはすでに十分な資金基盤を持ち、コストを抑えて上場したい企業に適した手法と言えるでしょう。
ダイレクトリスティングのメリット
ダイレクトリスティングには、次のメリットがあります。
上場コストと時間の削減
通常のIPOでは、証券会社と引受契約を締結し、厳しい証券審査や各種手続きを経る必要があり、これには多額の手数料と2〜3年の準備期間がかかることが一般的です。しかし、ダイレクトリスティングではこれらのプロセスが不要となり、証券取引所への直接上場が可能です。そのため、企業は迅速かつ低コストで市場に参入することができます。
ロックアップ期間が不要
一般的なIPOでは、創業者や主要株主が一定期間、自身の保有株式を売却できない「ロックアップ期間」が設けられます。これは、上場直後の株価の安定を図る目的で設定されるものですが、資金化を急ぐ株主にとっては大きな制約となることもあります。
一方ダイレクトリスティングでは、新株の発行が伴わないため、ロックアップ期間の制約が存在しません。その結果、既存の大株主は上場直後から自由に株式を市場で売却することができ、迅速なキャッシュ化が可能です。
既存株主の持分が希薄化しない
通常のIPOでは新株発行により株式数が増加するため、既存株主の持分比率が低下する「希薄化」現象が発生します。一方ダイレクトリスティングでは、新たな株式を発行しないことにより、既存株主の持分比率が希薄化しません。
ダイレクトリスティングのデメリット
続いて、ダイレクトリスティングのデメリットについて詳しく見ていきましょう。
資金調達ができない
通常のIPOは、新株を発行して投資家から資金を集めることが主な目的の1つですが、ダイレクトリスティングでは既存株式のみが取引されるため、資金調達ができません。資金が必要な場合は銀行融資や社債発行といった別の手段を取る必要があります。
株式の流動性が低下する可能性がある
ダイレクトリスティングでは新株発行を行わないため、流通する株式の数が限られ、結果として株式の流動性が低下する可能性があります。流動性が低いと、投資家が売買を行う際に適切な価格で取引することが難しくなり、価格変動が大きくなりがちです。
特に、既存株主が積極的に株式を売却しない場合、市場に出回る株式数がさらに少なくなるため、投資家にとって魅力が薄れるリスクがあります。
証券会社の支援が得られない
通常のIPOでは、証券会社が幹事会社として上場準備から投資家へのアプローチ、価格設定、株式の販売支援などを行います。一方、ダイレクトリスティングでは証券会社の引受審査や販売支援が不要となるため、これらのサポートを受けることができません。
企業自身が投資家との関係構築や上場プロセス全体を主導することで、社内リソースへの負担が増大します。また証券会社による価格安定化措置がないため、上場直後の株価が不安定になりやすいというデメリットもあります。
ダイレクトリスティングが適している企業
通常のIPOやSPACではなく、ダイレクトリスティングが適しているのはどのような企業なのか詳しく見ていきましょう。
緊急の資金調達が不要で信頼と知名度を獲得したい企業
ダイレクトリスティングは、新たな資金調達を必要としない企業に適した手法です。上場企業としてのステータスは、取引先や顧客、投資家からの信頼性を高め、新たなビジネスチャンスの獲得や採用活動の強化にも寄与します。
ガバナンス体制が整っており、上場基準を満たしている企業であれば、市場での信頼を獲得しやすいでしょう。
創業者や既存株主が早期に資金化を目指す企業
ダイレクトリスティングは、創業者や既存の大株主が保有する株式を迅速に現金化したい場合に適しています。ロックアップ期間が存在しないため、上場直後から自由に株式を売却できます。
上場コストと時間を抑えたい企業
通常のIPOでは、上場準備に数年の期間と数千万円単位の費用がかかることが一般的ですが、ダイレクトリスティングはこのプロセスを大幅に簡略化できます。証券会社を介さないため、引受手数料が不要となり、煩雑な審査手続きも減少します。そのため、「迅速に上場して事業を加速させたい」「余分なコストをかけずに上場したい」と考える企業に適しているでしょう。
ダイレクトリスティングの手順
ダイレクトリスティングの手順は、従来の上場手法と比べてシンプルです。ダイレクトリスティングの手順について詳しく見ていきましょう。
1.上場基準の確認と準備
企業は上場を希望する証券取引所が定める上場基準を確認し、それに適合するための準備を進めます。財務諸表や内部統制の整備、ガバナンス体制の強化など、上場企業として求められる基準を満たす必要があります。企業の信用力や財務状況の健全性が評価のポイントです。
2.必要書類の作成と提出
上場申請に必要な書類を作成し、証券取引所に提出します。書類の詳細は下記のとおりです。
①株券の評価額及び上場後の流動性確保に関する書類
- 内容:a.新規上場申請に係る内国株券の評価額について記載した書類 b.上場後の流動性確保のための方策について記載した書類
- 提出期限:上場申請時(または決定後遅滞なく)
- 関連規則:規則第204条第1項第21号、規則第218条第1項
②有価証券報告書
- 内容:上場承認日までに、有価証券報告書を内閣総理大臣等に対して提出する必要がある(継続開示会社でない場合)
- 提出期限:上場承認日まで
- 関連規則:規則第253条の2第1項、規則第254条
③流通参考値段
- 内容:幹事取引参加者が作成した新規上場申請に係る株券等の流通参考値段を記載した書類(初値決定前の特別気配値段の参考価格)
- 提出期限:上場日の1週間前まで
- 関連規則:-
出典:株式会社東京証券取引所
3.証券取引所による上場審査
書類提出後、証券取引所による上場審査が行われます。企業の財務状況、経営体制、内部統制、コンプライアンス体制などが総合的に評価されます。審査は企業の透明性や成長性、安定性を確認することが目的です。
4.上場承認と株式の登録
上場審査を通過すると、証券取引所から上場承認が下ります。承認後、企業は株式を証券取引所に登録し、市場での取引が可能となります。既存株主が保有する株式が取引対象となるため、新たな株式発行は行われません。
5.株式の売買開始
上場承認後、企業の株式は証券取引所で正式に売買が開始されます。既存株主は自身の保有株式を市場で売却できるようになり、投資家は企業の株式を自由に購入できます。
6.上場後の開示義務と運営
上場後も、企業は継続的な情報開示義務を負います。四半期ごとの決算報告や重要事項の適時開示など、投資家への透明性確保が必要です。また、株主総会の開催やガバナンス体制の維持・強化など、上場企業としての責任を果たす必要があります。
ダイレクトリスティングの注意点
ダイレクトリスティングを成功させるために、次の注意点を押さえましょう。
市場環境の影響を考慮する
ダイレクトリスティングを成功させるためには、市場環境の動向を慎重に見極めることが重要です。株式市場が不安定な時期や投資家が株式の購入に関心を示さないタイミングでは、株価の変動リスクが高まり、上場直後に期待したパフォーマンスを得られない可能性があります。
市場の流動性や投資家の動向、経済全体の状況を十分に分析したうえで、タイミングを決めることが大切です。
情報開示と透明性の確保
ダイレクトリスティングでは、通常のIPOのように幹事証券会社が広報活動や投資家への説明を行わないため、企業自身が積極的に情報開示を行い、透明性を確保する必要があります。投資家が正しい判断を下せるように、財務状況や事業戦略、リスク要因などの重要な情報を適切に提供しましょう。
株式の流動性への配慮
ダイレクトリスティングでは新株を発行しないため、既存株主が積極的に株式を市場で取引しない場合、売買の機会が限られ、取引量が低下する可能性があります。株価の安定を保つには、事前に流動性確保のための戦略を検討し、投資家が参加しやすい環境を整えることが重要です。
内部体制の強化とガバナンスの確立
ダイレクトリスティングでは、企業のガバナンス体制や内部管理の強化も欠かせません。上場後は株主や投資家からの厳しい監視を受けることになるため、透明性の高い経営体制を構築し、適切なコンプライアンス体制を維持することが求められます。取締役会や監査機能の強化、内部統制の徹底により、企業価値の維持・向上を図ることが重要です。
ダイレクトリスティングの事例
ダイレクトリスティングを選択した事例を紹介します。
スラック・テクノロジーズ
2019年、スラック・テクノロジーズは、ビジネス向けのコラボレーションツールとして人気を博している「Slack」を提供する企業として、ダイレクトリスティングによる上場を選択しました。同社は、チーム間のコミュニケーションを効率化するプラットフォームを展開しており、その革新性と利便性から急速に成長した企業です。
スラックの株式の約65%は創業者や初期投資家が保有しており、利益を最大化することが重要な課題であったことから、資金調達を目的としない上場方法としてダイレクトリスティングを採用しました。
スポティファイ・テクノロジー
2018年、Spotifyはダイレクトリスティングを用いて上場しました。既存株主の流動性向上を重視しており、一般的なIPOで課されるロックアップ契約による制約を回避したいと考えていました。
さらに、上場プロセスにおける透明性の確保も重要視していたこともダイレクトリスティングを選択した理由の1つです。
加えて、Spotifyは上場時点で新たな資金調達の必要がなかったことも大きな要因です。
コインベース
コインベースは、2021年にダイレクトリスティングを用いて上場したアメリカ最大手の仮想通貨取引所です。すでに安定した収益基盤と十分な資金を確保していたため、上場の目的は資金調達ではなく、既存株主に対して株式売却の機会を提供し、企業価値を市場で正当に評価してもらうことにありました。
上場時、同社の参考価格は1株あたり250ドルと設定されていましたが、実際の初値は381ドルとなり、52%以上もの急騰を記録しました。
Asana
業務向けコミュニケーションアプリを提供するAsanaは、2020年にダイレクトリスティングを選択して上場しました。既存株主、特に創業者自身の利益確保とともに、企業価値を市場で正当に評価してもらうという明確な目的がありました。すでに多くのユーザーと市場での一定の知名度を獲得しており、通常のIPOを経る必要性が低かったことも、ダイレクトリスティングを選んだ理由の1つです。
杏林製薬株式会社
杏林製薬株式会社は、1999年にダイレクトリスティングを用いて上場しました。日本におけるダイレクトリスティングの初の事例です。
主な目的は、創業者一族が保有する大量の株式の流動性を高めることにあったとされています。
ダイレクトリスティングは企業成長戦略の新たな選択肢
ダイレクトリスティングは、資金調達を目的としない企業や、迅速な上場を実現したい企業にとって魅力的な手法です。既存株主にとっては、ロックアップ期間なしで株式を売却できるメリットがあり、企業にとっては上場コストを削減しながら市場での信頼性を獲得する機会となります。
一方で資金調達ができない点や、株式の流動性維持、投資家との関係構築といった課題も考慮する必要があります。
ダイレクトリスティングが上場戦略の多様化をさらに促進するでしょう。