労務監査(労務DD)とは?
労務監査とは、企業が労働に関する法令・規則を守っているかを調査することです。労働に関する書類の整備や、就業規則に基づくルールが順守されているかなどが調査の対象です。「労務DD(デューデリジェンス)」とも呼ばれます。
労務監査では労務帳票やヒアリングを元に、企業の労務状況を点検し監査結果を評価します。過重労働やハラスメントによる社内トラブルを早期に発見し、その後の会社経営のリスクを低下させることが主な目的です。
IPOにおいては、上場時の審査を問題なく通過するために、現状の課題やリスクを洗い出す手段として用います。
労務監査が求められる理由
IPOを進める上で、労務監査は必須とされているわけではありません。しかし最近では企業の労働環境を見直す動きが重視されています。そのため主幹事証券会社から、社労士などの専門家による労務監査を受けるように依頼されるケースが増えています。
IPOの審査基準は非常に厳しく、特に労務関連は審査を通過するうえでの課題が多くなりがちです。証券取引所の審査をスムーズに通過するには、労務監査によって労務状況や課題を洗い出す必要があります。
以上の理由から、IPOにおいて労務監査は不可欠な要素とされています。
労務監査が行われるタイミング
IPOを準備する企業で労務監査を実施するタイミングは、「直前々々期(N-3期)」と「直前期(N-1期)」の2回であることが多いです。
労務監査1回目
監査法人のショートレビュー(IPOに向けた課題を把握する予備調査)前に、1回目の労務監査を行います。近年の監査法人は深刻な人手不足が発生しており、経営課題が少ない企業を優先して選ぶ傾向があります。このため労務監査を前もって行うことで、監査法人に選ばれやすくするのが目的です。
労務監査2回目
上場申請前の直前期(N-1期)に、2回目の労務監査を行います。労働関連の法令には高頻度で改正があり、直近の法改正にも対応しなくてはなりません。最新の法令・規則を順守した状態でIPOの審査を開始できるように、社内整備を万全にするのが目的です。
労務監査実施の流れ
労務監査は社会保険労務士(以降、社労士と記載)をはじめとして、弁護士や労務コンサルタントなどの専門家に依頼するのが一般的です。実際の労務監査は3つの段階に分けて実施されます。それぞれの段階と対応内容は以下の通りです。
①監査実施の準備
- 監査内容、範囲、スケジュール決定
- 監査に用いる書面の作成
- 社労士などとの事前打ち合わせ
②労務監査の実施
- 監査実施(監査対象書面の提出・ヒアリング・アンケート等)
- 監査結果の評価
- 監査結果報告書の作成
③監査結果の報告
- 監査報告会の実施
- 監査結果をもとにした専門家の提案
- 事後検証
- 専門家による課題解決フォロー
IPO準備企業が注意するべき労務リスク
あらかじめ労務リスクを意識して社内整備を行えば、IPOだけでなく労務監査もスムーズになり、指摘を減らせます。そこでここからは労務監査で指摘されることの多い労務リスクをまとめていきます。
未払い残業代の有無
労務監査において、未払い残業代が残っていることは真っ先に指摘されるポイントです。これは残業代の支払い漏れが、すなわち労務管理が不十分であることを示すとして、IPOの審査の通過が困難となることが理由です。
未払い残業代を発生させないためには、従業員の労働時間を正確に管理する必要があります。タイムカードや勤怠管理システムの導入によって就業時間を記録しましょう。
また、就業規則や給与規定通りに残業代が支払われていない場合も、見直しを求められます。残業代を含めた給与計算に、規定との齟齬がないか確認が必要です。
あらかじめ労働時間を正確に記録し、残業代が規定通り払われる仕組みを用意しておけば、労務監査で指摘されることも無くなります。
労働時間(時間外労働)の管理
従業員の労働時間が、労働基準法に規定される時間内となっていない場合も指摘の対象です。労働基準法において時間外労働は1か月45時間、1年360時間を超えない範囲でなければならないと規定されています。
労務監査で調査される労働時間の対象として、厚生労働省がガイドラインに定める「労働時間の考え方」が用いられます。このガイドラインにおける労働時間の定義は以下の通りです。
労働時間とは、使用者の指揮命令下に置かれている時間のことをいい、使用者の明示又は黙示の指示により労働者が業務に従事する時間は労働時間に当たる。そのため、次のアからウのような時間は、労働時間として扱わなければならないこと。
ア 使用者の指示により、就業を命じられた業務に必要な準備行為(着用を義務付けられた所定の服装への着替え等)や業務終了後の業務に関連した後始末(清掃等)を事業場内において行った時間
イ 使用者の指示があった場合には即時に業務に従事することを求められており、労働から離れることが保障されていない状態で待機等している時間(いわゆる「手待時間」)
ウ 参加することが業務上義務づけられている研修・教育訓練の受講や、使用者の指示により業務に必要な学習等を行っていた時間
一部抜粋して引用:厚生労働省「労働時間の適正な把握のために使用者が講ずべき措置に関するガイドライン」
ガイドラインを元に適正な労働時間を把握できていないと判断される場合、労務監査で指摘されます。指摘を避けるには、客観的で適切な記録が必要となります。
労働条件通知書(雇用契約書)の有無
労働条件通知書や雇用契約書を作成し、従業員へ交付しているかどうかも労務監査のポイントです。
書面のやり取りをしていない場合がありますが、前述の労働時間や時間外労働の基本をまとめ、従業員とのトラブルを回避する意味でも、書面での交付が最良です。
トラブルのリスクを抑えた書面の取り交わしがあれば、労務監査での指摘も回避できるでしょう。
社会保険の加入漏れ
労務監査において、従業員の社会保険加入漏れがあれば指摘の対象となります。
この指摘の対象には、正社員のみではなくアルバイト・パートタイマーも含まれます。一定の条件を満たして、社会保険の加入が義務付けられている従業員がいれば対応しなくてはなりません。
社会保険加入が義務付けられている従業員の未加入は法令違反であり、IPOの審査時にこれが発覚すると審査通過が困難になります。労務監査で指摘を受けないように、監査前に確認できていれば早期に対応すると良いでしょう。
また加入漏れが確認された場合、加入指導や過去2年分の社会保険料支払いを求められるなどのリスクがあるため、早期の確認が必要です。
36協定の締結・届出
企業が36協定を締結し、所轄の労働基準監督署長へ届出をしているかどうかも、労務監査で確認されるポイントです。
36協定とは「労働基準法第36条に基づく労使協定」のことで、過重労働を防止しつつ時間外労働を規定するための制度です。企業は従業員に、法定労働時間を超えて時間外労働・休日出勤をさせる場合、36協定を締結する必要があります。
従業員との36協定の締結や、労働基準監督署長への届出が無いまま、残業などをさせていれば、法令違反となりIPOの審査を通過できなくなります。問題なく締結・届出が行えているか、労務監査の前に確認しておきましょう。
就業規則と各種規程の整備
労務監査を実施する上で、主に調査・判断されるのは人事労務に関する企業の現状です。そこで就業規則や給与規程、育児介護休業規程といった社内の人事労務に関する取り決めを整備することが必要になります。
IPOの審査時は、規則・規程の整備と適切な運用を厳密に審査されるため、労務監査でも重視される項目です。労務監査に向けて自社の規則・規程の整備を進めておきましょう。
また労働基準法は高頻度で法改正が行われるため、規則・規程を整備しただけではなく、都度更新していくことも、監査で指摘を減らすポイントです。
安全管理体制の構築
労働安全衛生法に基づく、社内の安全管理体制が構築されていることも労務監査でチェックを受けるポイントです。労働安全衛生法では人数規模や業種に応じて、企業に安全管理体制構築を義務付けています。企業の対応ポイントの例は以下の通りです。
- 安全・衛生管理者や産業医の選任
- 安全・衛生委員会の設置
- 事業主による危険防止措置
- 安全教育の実施
- 健康診断の実施
上記を含めた、社内の安全管理体制の整備によって従業員が安心して働ける職場体制の確立ができていれば、労務監査での評価に繋がります。
逆に十分な環境が構築されていなければ、その箇所が指摘の対象となるため、労働安全衛生法を踏まえて環境整備に努めましょう。
有給休暇取得
労務監査において調査される項目のひとつに有給休暇の取得率があります。2019年4月の労働基準法改正によって、現在は年間10日以上の有給休暇が付与される従業員には、最低でも5日の有給休暇を消化させることが義務付けられました。
労務監査において法令遵守の観点から、有給休暇が規定通りに取得できているかが調査されます。従業員が有給休暇を正当に取得できていない場合、法令違反となるうえ罰金も支払う必要があるため、高いリスクを負わなくてはなりません。
労務監査に当たり、従業員に確実に有給休暇を取得させるよう管理しましょう。
労務監査を依頼する社労士を選ぶ3つのポイント
労務監査の実施には、労働関連の法令や労働問題に対する専門的な知識が必要です。そのため人事労務の専門家である社労士に監査を依頼することが一般的です。社労士は、対象となる企業の労務管理の状態を調査し、従業員の労働実態が法令に反していないかを監査します。
法令に適さない実態がある場合、是正に向けた提案・アドバイスを受けられるのが社労士に依頼するメリットです。
ここでは、IPOに向けて労務監査を社労士に依頼する場合に、社労士を選ぶポイントを3つ解説していきます。
過去の労務監査実績
IPO向けに行う労務監査は、通常の社労士業務と異なった視点・論点から評価やアドバイスを行う必要があります。よって、企業がIPOに向けて労務監査を依頼する場合は、社労士側にある程度の労務監査実績がある方が望ましいといえます。
社労士事務所のホームページには、過去に担当した労務監査の実績が公開されている場合もあるため、それらを元に判断することが可能です。
依頼する社労士によっては、過去に同業種の労務監査を経験していたり、前職が自社と同業種だったりする場合があります。それらの点まで考慮して、自社に最適な実績を持った社労士を選択することで、IPOに向けた労務監査を有意義に進めることができます。
費用内訳の透明性
社労士による労務監査の相場はおおよそ60万〜80万円程度とされています。しかし、明確に基準が設定されているわけではないため、社労士事務所によってばらつきがあります。
基本となる料金以上に費用を求められたり、費用の内訳に透明性がなかったりする社労士事務所は監査を行ってもらうビジネスパートナーとして不安です。依頼する社労士事務所がどのような基準で金額を設定し、内訳はどのようになっているのかを確認しておくことで、信用のおける取引が可能になります。
相談のしやすい人柄
「依頼する社労士事務所の担当者がどのような人柄か」も選ぶ基準として重要です。IPOに向けた労務監査において、社労士への相談は頻度も高く、IPOまでの数回の会計期にまたがるお付き合いとなります。必要なタイミングで気軽に相談できる相手であることは、企業側の人事労務対応の効率にも影響します。
無料で初回相談を実施している社労士事務所などであれば、担当者との相性を見極めるのに適しているため、そういった機会を利用して人柄の合う担当者がいる社労士事務所に依頼しましょう。
IPOに必要な労務監査について解説しました
IPOにおける労務監査は、企業の人事労務に関する法令・規則順守状況を調査する重要なフェーズです。自社の労務環境整備や法令順守をとりまとめ、労務監査とその後に控えるIPOの審査をスムーズに乗り越えられるよう準備を進めましょう。労務監査で挙がった課題やアドバイスを取り入れていくことは、将来的に従業員が働きやすい職場を作ることにも繋がります。
この記事では労務監査の概要と求められる理由、労務監査のタイミング、監査実施の流れ、IPO準備企業が注意するべき労務リスク、労務監査を依頼する社労士を選ぶポイントを解説してきました。
スタートアップ企業にとって、労務監査はIPOを目指す過程で実施が推奨される企業評価手法です。難易度の高いIPOの審査をスムーズに通過するために、本記事で解説した内容をぜひ参考にしてみてください。